ニュース見るのが常識ではないし、見てもしょうがない!?
こんにちは、ゆでたまごです。
むちゃくちゃ煽るタイトルにしましたが、誤解されないように最後まで読んでいただけると助かります。
今日は「News Diet」という本を読んで思ったこと、感じたことを述べて行きます。
著者は大のNews好きで、小さい頃から新聞を隅から隅まで読んで、大人になっても博識ある人に憧れ、ネットで世界中のNewsをインプットしていくことに快感を得ていました。
その度に最新情報に満たされていることに感激し、夢中になり、酔いしれていたとのことです。ニュースは知識をつけてくれる、そう思い込んで疑わなかったみたいです。
しかし、著者は考えが変わります。
「ニュースのおかげで、自分の世界をもっとよく理解できるようになっただろうか?よい決断ができるようになっただろうか?」答えはどちらもそうなってはいなかったと。
そういう結論に至った後も著者は印象的なニュースに魅了され、ニュースによって自分が苛立ちを覚えたりすることもあったいいます。
そんな著者がニュースを完全に断つことで得られたメリットがあります。
人生の質が向上、思考は明晰になり、貴重な洞察が得られるようになり、イライラすることが減って、決断の質が上がり、時間の余裕もできたとのこと。
そして、著者が述べている中で信じられないかもしれないが、ニュースを絶っても「大事な情報を逃すこともない」というものがある。
著者が言いたいことは「ニュースを今すぐ生活から排除しよう。そうすれば、ニュースから完全に自由になれる」というもの。
個人的には言いたいことはわかるが、行き過ぎかと感じました。
これはニュース中毒であれば、そうした方が人生の幸福度が増しますが、そうでもない人はそこまでしなくても良いと感じました。
そして、自分はニュースとの距離感が大事であると考えます。
いろんな人がそれぞれの距離感でニュースと向き合ってますので、例えば
●著者のようにニュースを見ることに夢中になり、ニュースでイライラしたりしてしまう。
という人もいれば、
●ニュースをたまにみるぐらい、ニュースでイライラすることも少しはあるが、できるだけ自分の影響力の輪の中の情報のみに集中している人。
●スポーツが好きでサッカーなどのニュースしか見ない人。
●気になる芸能人の変化しか見ない人。
こういった人の方が多いかと思います。
たしかに俳優が浮気、イタリアの内閣改造、大統領同士の会談、サメに襲われた、などなどのニュースは全て、それを知ったからといって自分がどうこうできる範囲のものではなく、自身の影響力の範囲外のことです。
ニュースを見てイライラして、自分がそのイライラした原因のニュースの事件を解決できることもないはずです。結果、ニュース見てイライラしたという結果のみが残ります。
しかし、仮に地元でクマに襲われたなどのニュースは、地元民であれば自分がクマに襲われる可能性なども高いので、このニュースは自分の影響力の範囲内のニュースとなり、クマ対策などを行ったりすることになるので、実際の自分の生活に影響を与えることになります。
ただ、飛行機が墜落したからといって、飛行機に乗ることを控えるといった自分の行動を変えるのは確率的には必要ない判断だと思います。
この本では、多くの人は1年間に2万本のニュースを読んでいるが、そのニュースによって、自分の人生や家族やキャリアや健康やビジネスでより良い決断を下すのに役立ったニュースはあったかという質問に対して、2本以上のニュースを挙げられる人はいなかったとのこと。
ニュースを多く見ると競争に有利になりそうな気がしますが、それが本当ならニュースジャーナリストが所得ピラミッドの上位になるはずですが、そうはなっていません。
昔はニュースを見ていないと大人の仲間入りできなかったり、新聞読むのは大人の常識
みたいな風潮があったと思います。
そして、新聞の内容を知らなければこんな世の中のことも知らないのかとマウントを取られることもあったと思います。
自分はそんなの知らなくても全然良いかと思います。
そして、少人数の同窓会みたいな感じであった時に、その人に言われました。これ知らないの?みたいな感じです。
ある程度の知識は必要でしょうが、相手に失礼のないマナーがあれば良いと思ってます。
仮に人は知識で価値が変わったり、マウントを取れるのであればクイズ王が一番偉ことになります。
自分の知っていることに関しては「そんなことも知らないのかよ」っていう人は、結局他の分野でお世話になる時に痛い目見ますし、自分も初心者であった頃のことを忘れているんでしょうね。
大工の仕事している人が貸借対照表を知らなかったり、損益分岐点という言葉を知らないということでその人が大工として生きていく上で必要とも思わないし、大工の技術があれば良いと思ってます。
外科医が世間のニュースをとても詳しくてもオペの手技が下手であれば、それこそ問題であると思います。
なのでニュースを毎日見ているから、彼はすごいや、大人だ、とはならないと思います。
自分はニュース見ていないけど、自分の仕事のことをちゃんとしていて、他人を思いやる気持ち、優しさを持つ人と一緒にいたいですし、そんな人を素晴らしい人間と感じます。
現代は無料でネットで世界中のニュース見ることができますし、全部を網羅することは不可能です。
知らない人とコミュニケーションの一環としてニュースは共通話題となりメリットを享受することもできるかもしれません。営業先での関わりなどそういった仕事の方はまだニュースは必要と感じる人は多いと思います。
自分にとって大事なニュースを見つけることは非常に困難で、そのほかの不必要なニュースを見なくてはいけないということは避けれらないのである。
それよりももっと、子供はどんなことで悩んでいるのだろう、奥さんの心配事はなんだろう、親の血液検査の値は大丈夫だろうか、家族が幸せになるにはどんな時間を過ごせば良いか、などもっと自分の影響力の範囲内にある出来事に注視して自分の行動を変えていくことが大事だと思われる。
今後は上手にニュースとの付き合い方を考えていく必要があることを考えさせられる良い本でした。
最後に、結論を覆すようなことを言いますが、ニュースが趣味な人もいると思います。それはその人が自分の人生の時間をニュースで費やすことで、楽しいと感じるのであればそれはそれで良いかと思います。
趣味は人それぞれ違います。フィギュア好きが、そのフィギュアの知識を勉強する時間は楽しいと感じるでしょうし、鉄道好きも同様だと思います。それらの知識が彼らの生活レベルを上げるような知識ではないかもしれませんが、各々の心の安らぎや楽しみになるのであれば、誰もその時間を邪魔したり、文句をいう筋合いはないのかと思います。ちゃんと家族や他人に迷惑をかけない範囲で生活をしているのであればという条件付きではありますが。
なので、ニュース見るのがめちゃくちゃ楽しいという人はそれでいいんじゃないというのが個人的な見解です。